第07話   釣 の 師 匠   平成16年06月13日  

その昔、私も師匠などと云われていい気になっていた時代がある。今考えるとそれはとても恥ずかしいことである事が分かった。つりの文献を探しているうちに気づいたことであるが、釣りの師匠とはそんなに軽々しく受ける物ではない。正式に弟子を取って、どうのこうのする訳ではないが、自分が長い間培った釣りの秘訣や極意を手取り足取り教え、その上事細かに秘密の場所などを教授し更にマナー等は特にしっかりと教えなければならない。趣味のことでありプロではないから、特別に料金を貰うわけではない。後輩に釣りの秘伝、秘訣それにマナーをしっかりと教え込む事が師匠と云われる由縁なのである。

然るに当時の私は、響きの良さから簡単に引き受けてしまった。今では余り見られなくなったが、鶴岡では長らく師匠と弟子の関係が続いていた。その師匠が亡くなるまでその関係が続いたと云われている。庄内竿の名竿は、師匠から弟子へ、その弟子からその又弟子へと代々大事に引き継がれて来た。だから、お金持ちの鑑賞品としての名品の庄内竿の他に、江戸時代からの名竿が実用品として数多く残って来たのである。

昨今は唯釣りの秘訣や秘密を聞いたら、マナーなどそっちのけでハイそれまでの弟子が多いと聞く。弟子は師匠を選ぶのは釣り場の大勢の中から良く知ってそうな奴を煽てて選ぶだけだから比較的簡単である。しかし、選ばれる釣師はいい迷惑極まりない。釣行の度、毎回自分の釣りを放り出して、あれこれ教えなければならないのであるから・・・・。見る目がないと云われればそれまでの話であるが、煽てられて悪い気持ちの人間は少ない。

そんな事があったりして、その後の私は聞かれたらアドバイスはしても、決して師匠といわれる事をしない様にしている。同じ釣り好きの同僚としての立場でいた方が気楽に云いたい事も云えるし、手取り足取り教えることもない。まして釣り場の秘密を易々と伝授する事もない。世代の異なる人たちは、学校の授業でも然り、何でも教えてもらわなければ分からないといった風潮がある。それが社会へ出ても同じ気持ちであるから、一通り仕事の内容を教えたつもりでも、ちょっと場面が変わると応用が利かないと云った事が起きる。そんな時平気で「○○さんが教えてくれなかったから・・・」等と言い訳をする。若い世代の全部が全部とは云わないが、そんな彼らを数多く見てから手取り足とり教える気がなくなったのである。ただ、釣に関してはそんな人は少ないのであるが、一緒に楽しんでいた方がどれだけ楽しいか分からない。釣は自分で覚えた事は、決して忘れない。

元来釣りに潮や場所、釣れる時期などを一通り覚えればそんな秘訣、秘伝なんて必要ではない。臨機応変の応用なのだ。後は魚の当たりがあって魚の引きを合わせるタイミングさえ覚えれば誰もが釣るだけの迷人にはなれるのである。魚の当たりがない時にでも、魚を寄せて釣るだけの技術を持ち、それに人格が備われば名人、達人となる。巷には残念ながら自称迷人は多いが、そんな釣師は少ない。身近にそんな釣師が現れたら、年齢差を越えても、三拝九拝して自分が弟子になりたいと思っている。